超簡単、火を使わない料理 生野菜健康法

 

超簡単、火を使わない料理

いよいよ本格的な暑さがやってきます。

暑さ凌ぎに、ヘルシーなスペインの冷たいスープは如何でしょうか。
本来なら生クリームやパンを使い、氷を入れるのですが、ここでは、よりヘルシーに豆腐を
使いました。また、冷スープとはいえ余り冷たいのは、腸を冷やして良くありませんので、
氷の代わりに常温の水にします。爽やかなスープで、酷暑を乗り切りましょう。

≪スパイシーガスパチョ≫
材料 トマト 大1個
赤パプリカ 1/4個 材料は、全て適当に切って、水と
玉ねぎ 1/6個 下記の調味料をミキサーにかける
セロリ 10cm 器に注ぎ、バジル等を添える
絹こし豆腐 1/3丁 (味をみて、調味料は加減して下さい)
水 1カップ
調味料(オリーブオイル大匙1、蜂蜜小匙1、レモン汁1/2個分、
塩、胡椒、カレー粉各少々)

☆パプリカはビタミンCが豊富です。なんとビタミンCの代表格であるレモンより
多く含まれています。他のビタミン(AとかB)も豊富ですが、熱に弱いので、
生で食べることをお勧めします。トマトのリコピンは活性酸素の発生を防ぎ、
玉ねぎは 血流を良くする作用等、良いことづくしのスープです。

『糖尿病』完治できました!

 

 

体験談『糖尿病』

田中恒善氏

病気をしたこともなかったのに突然糖尿病に
私は、病院に行ったこともないような人間でした。あるとき、守口市が年に一回実施している健康診断の案内状を貰ったので受けに行きました。3日ほどたってその保険センターから「ご主人の血糖値が280になっていますからすぐ病院に行ってください」という電話が入ったのです。普通でしたら2週間前後に手紙で返事が来るんですが、余程悪かったと思うんですが、私は今まで病気をしたことがないので何の思いもなしに医者に行ったわけです。するとやはり280から90位有り、糖尿病だと云うのです。
1週間薬を飲んでも血糖値は上がる
そこで2週間分のお薬を貰って、朝昼晩飲みました。1週間後、知り合いの健康食品を売っているお店に糖尿病に効くお茶というような看板がかかっていましたので、聞きに行きましたら店のご主人が「今食事されたのなら、4時半頃にもう一回来られますか?」とおっしゃるからなんのことかなと思いながら、4時半に行きましたら、ご主人が血糖値を測る機械をもってこられて測ると320になってたんです。薬を飲んでいるのに上がったのです。「こりゃあかんで、病院に行ったらすぐ入院やで、あんた明日12時に十三の駅まで来れる?」というお話があって、そのときには奥さんも一緒に来てくださいと云うことでした。
翌日12時に待ち合わせたのですが、何のために行くのか何も話をされなかったんです。
半信半疑で菜食整腸を始める

そこで楊先生から説明を受けました。楊先生は日本語でおしゃべりになっていました。私は騙されているのと違うかな・・・という感じを受けました。が横に居られた皆川先生が自分の体験談をお話しされたのを家内が熱心に聞い
てくれていいました。
食事をこれからしますのでご一緒に、と言われ、ヘエーと思って頂いたのが、今の野菜とななこっこの食事療法でした。家内も一緒に食事を頂きました。
そして、せっかく来たので腸もみ体験をお願いして、二人共40分施術を受けたんです。
薬を1週間飲んだ時にここにきたのですが、楊先生が「糖尿病なんかは病気の内にはいらん」というようなことで「薬は今日帰ったらすぐに捨ててください、だけど私は医者じゃないから、とりあえず薬はもらいに行って、血糖値を計っていただかないといかんので医者は続けてください」と言われました。
私は本当に贅沢で、付合いが多く肉は食べるわ、酒は飲みに行くわ、夜更かしはするわ、ずーとそういう生活をしていましたので、これからは、それを改めないといけません。それで家内は、ここで食べたものを明くる日から作るために勉強してくれました。
もし僕が入院すると治るまで何ヶ月掛かるわからない、その間に僕の仕事(お客)がほかに行ってしまったら、今度治ったときに果たして今の仕事が出来るかどうか分からない。家内は、それが一番心配やったらしいです。
楊先生は「この健康法を続けながら仕事は一生懸命してください。」と仰るので、家内が「その話に賭けようやないか」ということで、10回分の券を頂いて予約したんですね、
で、3回目位ですかね、楊先生が私のお腹を揉みながら、「田中さん、貴方はだまされたと思ってたでしょう」と片言の言葉でおっしゃるんです。僕はほんまにそう思っていましたので
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「ハイ!」というと、ニタッと笑いながら「血糖値なんかそんなの問題じゃない、もう心配せんでいいから」と言われました。
薬を飲まずに血糖値が下がった

そして2週間後、病院へ行って血糖値を測ると320あったのが170になってたんです。医者は「薬が効いてきましたね」と言いますが、私は全然薬は飲んでいませんでしたので「アラ!これはもうこの療法に賭けなあかん」という気持ちに初めてなりました。僕の貰ってる薬は効かないのに他の人に飲ませたらいかんと思って親切心で「僕は食事療法してますんで」と先生に伝えたら「あ、そうですか、そんなもん一生できるもんやないし」てな感じで相手にしてくれない、あ これ以上言うてもだめやと思って、それ以上医者には何にも言いませんでした。
とりあえず10回施術が済んだ時に、家内が「もう10回しよう」と言うて続けました。
コールタールのような便に仰天
18回目の時にトイレで真っ黒な便がでました。コールタールみたいなもので、便器にべったりついていました。僕はびっくりしましてね、そんな経験は今までしたことないし、こうこうで真っ黒な便が出ました。というと皆さんが「おめでとうございます」と手をたたかれたんです、なんのことかなと思いましたね。楊先生は「田中さんの60年間の腸に溜まった毒がみな出たんです。これから元気になられますよ、90まで現役でいけますよ」と冗談でおっしゃったのをいまだに覚えています。これが宿便というものだと教えられました。

30回施術で血糖値100前後に
結局、30回施術していただいて、血糖値は100前後になっていました。然し医者は「薬を飲んでるから正常だけど、その薬を止めるとまた元に戻るから薬をずーと飲んでください」と言われ、行く度に薬をもらっていましたが、
実は一切飲んでませんでした。
家内は、僕の性格をよく知ってますので、一人ですると、文句を言ったり、すぐやめたりするので、家内もずーっと同じ生菜食をしてくれておりました。僕は目の前で感謝するような言葉はようしないんですが、心の中では本当に一緒になって食事をしてくれたから続けられたんだと思って、家内に感謝しています。
平成13年6月にここにお世話になってもう約14、5年になりますが、毎年1ヶ月に1回検査していますが血糖値は正常、ちょっと血圧が高いので薬が出されますが、全然飲んでません。
未だに元気で現役
未だに元気に現役で働かせていただいております。楊先生が「90まで現役で居られますよ」と言われましたが、本当にそう思います。
こういうようなことで、皆川先生からお電話を頂いた時に断ろうかなと思ったんですが、ふっと14年前の事を思い出して、やっぱり、今こうやって現在ここに通って菜食整腸をされている方に少しでも私の経験を伝えて、続けていただくと、きっと元気になられると思いますので、これを伝えたいなと思い、今日、来させていただきました。
本当にこの健康法は間違いないです。これを
するのとしないのとでは大違いです。
最初にここNHを紹介していただいた方に感謝しています。
皆川先生も、ずっと立派な仕事を続けられて感謝しています。
未だに「ななこっこ」は食べています。生野菜も朝昼晩食べています。家内はいつも腸を揉んでくれています。
健康で長生きするのが一番です。
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ネイ

 

前立腺癌 完治しました!

 

症例「前立腺がん」

80男性 Yさん

退職後、前立腺ガンが見つかる

65歳で退職。その頃、高齢者用の医療診療がタダというので、県立病院で診てもらったらですね、ガンの数値マーカーが、「普通の人は4までだが、あなたは18もありますよ!」と言われ、調べたら前立腺のガンです。

 

大阪森ノ宮の府立成人病センターに前立腺では有名な先生が居られるというので行きましたら、やっぱり前立腺ガンでした。家族を皆呼んでくださいと言われて、病室

にいっぱいレントゲン写真を貼られて、どうしても手術せねば駄目だと病室まで決められたんですよ。でも、手術はしたくないと言って退院しました。

 

その時、知り合いの方が、ヤング先生という方が、西宮の夙川で腸のマッサージと生野菜の健康法をやって居られると言われて、西宮に住んでいましたので、車を飛ばして行きました。お会いして前立腺ガンだとお話したら、即座に『生野菜と腸マッサージで治りますよ。』と言われたんですよ。ヘーと思って聞いていましたが、皆川先生

の体験も聴きまして、しばらく通わせてもらいました。

 

前立腺ガンが消える

しばらくして、府立成人病センターに手術をやめる報告に行き、血液検査をすると血液が綺麗になっていた記憶があります。結局手術はせずに抗がん剤も止めて、ヤング先生のお世話になって、前立腺ガンは消えてしまいました。

 

新大阪に移られてからも通いました。途中しばらく途絶えましたが、ここへ来る前のところも通わせていただいて、今もお世話になっています。

 

86 歳の今、血液検査では優等生

今、病院では血液検査で「85歳になってこんなに綺麗な血液の人は見たことない。」

と医者がびっくりするんですから、こっちも驚いてありがたいな、と思っています。

この健康法をさせていただいたお陰でありがたいなと。

 

 

私の友達が次から次と亡くなっているんですよ。中学時代同期のラグビー部員 10 人の内、昨年最後の一人が亡くなって、今私一人生きているんですよ。海軍同期の仲間の中でも一番元気な感じがします。

これも、菜食整腸健康法のおかげと感謝している次第です。

 

上記体験談はNPO法人 ネイティブヘルスの会報誌 明日葉第62号(2015年)の本文より抜粋。当時ヤング先生はNPO法人 ネイティブヘルスの顧問でした。

体験談の全文はこちら↓

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昨日で満86歳になりました。
私の人生を思い出してみますと、小学校6年生の時に大東亜戦争が始まりまして、12月8日、真珠湾攻撃で日本の特殊潜航艇が、ハワイで大成果を上げてアメリカ軍の戦艦を片パシから撃沈したという朗報が入ったのを覚えています。
雑炊で、お腹は減っても
誰も病気をしなかった
小学校6年生から中学校1・2年になる頃から米が配給制で、量がものすごく少なくなりまして、それも米はほんの僅かで、麦とかヒエ、大豆とかで、代用食と呼んでいました。
中学校1・2年生では腹が減りまして、母親が菜っ葉とか野草(畑に生えている草)などを増量材のような格好で入れ、雑炊とか言っていた記憶があります。
皆、そのような食事でしたが、友達も病気をするような人はいなかった。お腹が悪くなったとか、内臓系の病気はほとんど聞かなかったような気がします。
今から思うと、それが生野菜療法みたいな効果だったのだなぁと思う次第です。
中学3年になりますと学徒動員で町工場へ、私共は神戸市長田区の西の方で、六甲山の方から粘土を堀出し水槽のでっかいのを作るのが仕事でした。その頃は木造家屋ばっかりだったので、もし空襲されるとすぐ焼けてしまう。被害が広がらないように消火用に
大きい水槽を作るのです。
学校では授業も全然ないし、海軍志望する連中が増えてきました。私はちょっと目が悪かったものですから、海軍経理学校へ…東京の品川に本校がありましたが、3月に東京の大空襲があり、急遽奈良県橿原神宮の近く畝傍中学に入校する事になりました。
5月に海軍経理学校に入ると、敵性語で
ある英語を何時間も習った記憶があります。
米軍が沖縄に上陸し、そのうち本土上陸するというので、爆薬を抱えて敵戦車に飛び込んで行く練習々々の日を過ごした記憶があります。
1945年8月15日終戦。昭和天皇の終戦の玉音放送を残念がって聞いたものです。
同年8月末に除隊になり、京都経由の貨車で帰ったのですが、西宮が焼け野原になっていましたが、荷物を担いで帰ってくると、我が家が残っていて、あんな嬉しかった事はなかったですよ。
土曜休みも無しで、
毎日仕事付き合いで、肉と酒で夜中帰宅
その後、商社に就職し、繊維関係の仕事を
2015年 7 月
第62号
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していました。40才位になると付き合いが激しくなって、それも仕事のうちで毎晩得意先と繁華街で肉とか酒の付き合いでタクシーで帰っていた記憶がございます。
初めは土曜日も出勤日でしたが、5日制になると土曜は休みですが、その土曜も出て仕事をしていました。
退職後、前立腺ガンが見つかる
65歳で退職。その頃、高齢者用の医療診療がタダというので、県立病院で診てもらったらですね、ガンの数値マーカーが、「普通の人は4までだが、あなたは18もありますよ!」と言われ、調べたら前立腺のガンです。
大阪森ノ宮の府立成人病センターに前立腺では有名な先生が居られるというので行きましたら、やっぱり前立腺ガンでした。
家族を皆呼んでくださいと言われて、病室
にいっぱいレントゲン写真を貼られて、どうしても手術せねば駄目だと病室まで決められたんですよ。でも、手術はしたくないと言って退院しました。
菜食整腸を始める
その時、知り合いの方が、楊先生という方が、西宮の夙川で腸のマッサージと生野菜の健康法をやって居られると言われて、西宮に住んでいましたので、車を飛ばして行きました。
お会いして前立腺ガンだとお話したら、即座に『生野菜と腸マッサージで治りますよ。』と言われたんですよ。
ヘーと思って聞いていましたが、皆川先生の体験も聴きまして、しばらく通わせてもらいました。
前立腺ガンが消える
しばらくして、府立成人病センターに手術をやめる報告に行き、血液検査をすると血液が綺麗になっていた記憶があります。
結局手術はせずに抗がん剤も止めて、楊先生のお世話になって、前立腺ガンは消えてし
まいました。
新大阪に移られてからも通いました。途中しばらく途絶えましたが、ここへ来る前のところも通わせていただいて、今もお世話になっています。
86歳の今、血液検査では優等生
今、病院では血液検査で「85歳になってこんなに綺麗な血液の人は見たことない。」と医者がびっくりするんですから、こっちも驚いてありがたいな、と思っています。
この健康法をさせていただいたお陰でありがたいなと。
皆川榮治、容子先生が、数号前の会報に「難病を菜食整腸で治された」と書いておられましたが、興味深く読ませていただきました。
私の友達が次から次と亡くなっているんですよ。中学時代同期のラグビー部員10人の内、昨年最後の一人が亡くなって、今私一人生きているんですよ。
海軍同期の仲間の中でも一番元気な感じがします。
これも、菜食整腸健康法のおかげと感謝している次第です。
羽間先生の話
今朝、家を出るときに、元大阪市大の羽間先生が、去年11月3日にここでなさった講演録をパッと思いだしてメモしたのですが、『食は命なり』と言われたんですね。
「野菜が良い。それに味噌と胡麻、玄米。体は動かさないと腐る。元気で長生きするには薬は飲まない方がよい、今飲んでいる人は徐々に減らしなさい。抗生物質の恐ろしいのは、体の必要な菌まで殺してしまう。薬を飲まない体づくりをしなさい」
この生菜食整腸健康法は宝だと思います。
皆さんも続けていただきたいと思います。
元気で長生きのコツは、続けることです。
私が続けられたのは、家内のお陰です。家内も一緒にやってくれました。
今は週1回ネイティブヘルスで施術を受け生野菜料理を頂いています。

しっかり実践した方々は体の変化を感じてます。

ご予約・お問い合わせは☎090-2524-6930まで。

乳がん・肝臓がん 完治しました。

症例「乳がん・肝臓がん」

40代女性 Uさん

2008年に乳ガンを患ってから、2016年迄に2度の肝臓がんの再発を経験しました。

 

乳ガンは、手術・放射線治療・ホルモン治療、1度目の肝臓ガンは抗がん剤で治療し治りましたが、一年もしない内に2度目の肝臓ガンが再発しました。

それが、2016年の春です。

 

前回治った抗がん剤で再度治療する予定でした。

果たして前回使用した抗がん剤が効くのか、

効かなければもっと強い抗がん剤を使う事になるのではないか、

例え治ってもまた再発するのではないか、と言う不安を抱き、思い悩んでました。

 

そんな時、知人からヤング先生の腸揉み&生菜食療法を紹介して貰いました。

藁をもすがる思いで先生に会い話を聞いたところ、病院では決して教えてくれなかった「私がガンになった理由」と「対処法」の説明を聞き、「腸揉み&生菜食」を試してみる決心をしました。

 

それからは、ヤング先生による腸揉みと、完全に生菜食への切り替えを実践しました。

 

始めて1ヶ月半位は、腫瘍マーカーが増え続け、直径4cm 1個と初めに診断された腫瘍が、5cm 3個となり大変不安に思いました。

でも、それ以降は腫瘍マーカーは、徐々に下がり続け、腫瘍の大きさに変化は見られませんでした。

そして、一年経った頃、腫瘍が7mm小さくなった事が分かりました。

その時の腫瘍マーカーは、まだ正常値内では有りませんが、最高値の半分以下になりました。

 

「ガンその物もやっつける療法」では無く、「体の治癒力を高め、体に悪い物を入れない療法」なので、短期型治療では無い所にヤキモキする事も有りましたが、抗がん剤治療中に感じた「抗がん剤を投与しなくなったら再発するかも知れない終わりの無い不安」が無くなった事は、私にとっては何にも変えがたい嬉しい事です。

 

腸揉みを始めた時は、ガン告知のショックと体調不良で免疫力・体力共にかなり落ち込んでいましたが、日を追う毎に徐々に回復し、気付いた頃には以前より体の力がみなぎり、寝ると体の疲れがリセットされる様になりました。

 

それから、排便の量と回数には驚きです。

元々ほとんど便秘になった事が無い性分でしたが、今の排便量と比べると、雲泥の差。

今は、平均して1日3~4回、大量に出ます。

そして、排便後は、体が軽くなったり体調不良が良くなります。

 

たまにとても臭いタール状の便が出ます。

それが宿便だそうで、それが出ると一歩一歩、体の調子が良くなるのが不思議です。

 

また、腸揉みを始めた当日から布団に入ったらすぐに熟睡する様になり、朝もすっきり起きられるようになりました

 

お肌が白くなり、顔色のムラが減りました。

腸揉みを開始した時からは、7kgほど体重は減りましたが、体力は以前よりも有ると思います。

仕事も以前と変わりなく続けています。

 

「生野菜・生穀物・生水」の生活も、初めの頃は、沢山食べられない時期も有りましたが、今ではモリモリ美味しく食べて、胃が重くならず体が楽になるので、体が欲している事が分かります。

 

食事に関しても、ヤング先生の理論にのっとった料理法も教えて貰えるので、食を楽しむ事か出きます。

 

医学的治療は一切せず、「腸揉み、生菜食、排便」をしているだけで、ガンが小さくなってきているのが本当に嬉しいです。

今後の再発の不安がなくなり、嬉しい毎日を過ごしています。

 

ヤング先生には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

膠原病が完治しました!

 

 

1990年 膠原病の全身性エリテマトーデス(SLE)と診断され、その4年後、ステロイドの副作用で大腿骨頭壊死になり歩行困難となって手術もできないまま一生歩くことはあきらめるように医師に言われた皆川容子さんは、当時台湾で活動されていたヤング先生のもとに10か月通い、膠原病と壊死になった大腿骨頭が完全に回復されました。

この方は本に体験を書かれました。

「あした葉のように ~消えた膠原病・再生した骨頭~」皆川容子著書

 第2部 P.124~ 「消えた膠原病・再生した骨頭」では、病気の原因・実際にどのような体質改善をしたのか、経過を交えて記録されております。